2010-10-10

イミテーション

人と話をしていると、新しい発想や昔に感じていたことなどを思い出すこともある。
昨日、スカイプで色々と喋ってると、不意にこれまでの自分のしてきたことを思い出した。

現在のケニアでの活動に至るまで、
色んな事をしてきたつもりだが、いつでも周りに素晴らしい人の存在があった。

そこで、その人たちを参考にしてその人たちの真似をして今に至る。
だからからか自分自身に自信もなくこれといって自分の良さってもんが未だにわからない。仮にわかったとしてもどーなのかがわからないが

しかし、人の真似をすることってのは個人的に嫌いではない。だからこの生き方は一生変わらないだろう。
やっぱり、自分の中でかっこいいもんはかっこいい、すごいもんはすごい
人や物に憧れるとどうしても近づきたくなるし目指したくなる。そのためなぜか真似をしていく・してしまうのが自分。

そう真似して色々挑戦していく中で、うまくいくこといかないことはある。
ただ、完全に人の真似をするだけではうまくいかないというのがわかってきた。なぜなら俺はその人自身ではない。その人のやり方+自分にとってやりやすいやり方・自分が今生きる場所に合うやり方を見つけ取り入れると案外うまくいったりもする。

もともと人のスタイルやり方でも自分にちゃんと適応させれれば、もうそれは真似じゃなくて自分のもののような気がする。



要するに
人と出会い、その人に感化されたり、憧れたりする。そして同じ様な生き方をしたい、同じ様なことをしたいと思うは自由。それを行動にうつすもうつさないも自由。
自分のため人のため心に強く思い、目指すならば、それは決して真似ではないはず。
人に真似してんのかよって言われてもいい。

『一番避けたいことはやらずに後悔すること。』
『死ぬこと以外はかすり傷。』
好きな言葉

やって失敗・後悔したとしても、その自分がやった事には意味がある。失敗・後悔の中に学びを見出す。次はそうならないように色々トライするだけ。後悔してそこで止まったらあかんし、生きてる以上なにか出来る。死んだらなんも出来ん。
今しかできんこともあるし、今じゃなくてもできることもある。
けど、「やっぱりやっときゃよかった。」よりは「やったけど、できんかった。」と思いたい。

人の境遇に憧れてもないものねだりじゃなく、その人がそこでどうしてるのかを大切に
今ここで活動するのは自分だけ、体は一つやけど、その分考えややり方はそこらへんに転がってる気がする。
国柄・生い立ち問わず自分でしっかり考えてとらえてかなきゃ。



そしてそろそろ、授業のネタが行き詰ってきた。

今は競争とドッジボールに向けてのあて鬼
この間ナイロビで先輩や同期と話して色んな話を聞かせてもらった。
授業だけでなく人とのかかわり方など色々。

その中で参考になることも多く、とりあえずはゆっくりゆっくり取り入れてみよう。
真似してみようと思う。




Tutaonana baadaye.

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